Date: Sun, 3 Dec 1995 16:21:04 +0900

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bogomil's CD collection #15          ○○○○◎◎◎◎    
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あなたの聴覚は鋭敏ですか?
リゲティ:《アトモスフェール》

 今年の夏も、多くの人が国内旅行、海外旅行に出かけることだろう。そして、おそ
らくその大部分は、いわゆる観光旅行だろう。「観光」とは、景色を見る、というこ
と。英語ではsight seeingだ。食べたり、飲んだりも旅行の楽しみのうちだし、最近
では買い物も、旅行の楽しみのひとつになってきているようだが、それでも、ほとん
どの人は、何かを「見に行く」のである。

 では、目の見えない人は、どうするのだろう。「観光」とは無縁なのだろうか。そ
んなことはない。目の見えない人は、確かに景色を見ることはできない。しかしその
場所の空気感、音、におい、風などを、目の見える人よりも、はるかに敏感に、細や
かな感覚で感じるのである。筆者の知人のT氏は、目が見えないが、彼と話している
と、視覚以外の感覚が非常に研ぎすまされていること、そして、周囲の状況を、目の
見える人とは違った方法で認識していることに驚かされる。

 たとえば、学生食堂の話。彼の行っていた大学には、2つ学生食堂があるが、彼に
いわせると、ひとつは「音の響きが不快」なのだそうだ。特に音楽を流しているわけ
ではなく、人々の話し声や、食器の音、椅子の音などが、不快に反響して聴こえるら
しい。この話を聴いてからしばらくのあいだ、行く先々で、音に集中してみた。確か
に、違う。概して、都会の食堂、レストランはやかましいが、部屋の大きさ、天井の
高さ、床の材質によって、響きが変わるし、足音も変わって聴こえる。そして、くつ
ろげる店、というのは、やはり、あまり音が反響しないところであることもわかった
。しかしこういったことは、以前は、ほとんど気にしていなかったことである。

 戸外の音についても、注意深く聴くと、いろいろなことがわかる。たとえば、雪の
降る日は、町が静かになったような気がしないだろうか。人々が外に出なくなる、と
いうこともあるだろうが、なんとなく、周囲の音が違って聴こえる。このことについ
ても、T氏は、おもしろい話をしてくれた。彼は、雪の積もった道を歩くのが苦手だ
という。目の見えない人は、普段、杖を使って歩くが、あの杖は、ただ単に障害物や
道の段差を探っているだけではなく、杖でたたく音の響き具合から、周囲のおおよそ
の広がりもわかるのだそうだ。それで、雪が積もると、いつも歩いている道でも、音
の響きが変わってしまい、ありもしない場所に、塀や建物が立っているように聴こえ
ることがあり、困惑するのだそうだ。

 こういった感覚は、おそらく、本来人間なら誰でもが持っているのだろうが、どう
も最近は視覚が優先されて、聴覚能力が退化しつつあるような気がする。そして、視
覚と聴覚のバランスが極端に視覚側に傾くと、弊害も起こってくる。たとえばテレビ
のコマーシャル。素敵な若い女性あるいは男性がでてきて、微笑みながら商品につい
て語る。つい、心が動いてしまうが、目の見えない人は、違った捉え方をする。話し
ている声だけ聴くと、誠実さが感じられず、その人が、本心から語っているのではな
いことがわかるのだそうだ。早い話が、心にもない「嘘」を言っていることがわかる
のである。なまじ目が見えると、外見にコロリとだまされてしまうものらしい。

 この法則を適用すると、電話で話したときに好感の持てる人は、人柄のいい人、と
いえるかもしれない。しかし、これを逆手にとって、作り声でだます、というテクニ
ックもあるから、あまりあてにはならない。

 いずれにせよ、私たちは、注意深く見ると同時に、注意深く聴かなければならない
。特に、視覚優先のメディアの洪水の中では、聴覚を鋭敏にしなければならないだろ
う。そのためには、まず自分自身の周囲を聴覚的にクリーンにしておく必要がある。
自分自身が無神経な音を出してはならないし、周囲の無神経な音を少しでも減らすよ
うに努力するべきだ。ついてながら付言しておくと、「周囲の無神経な音」には、音
楽も含まれることをお忘れなく。ある人にとっては快適な「音楽」であっても、それ
を聴こうと思わない人にとっては騒音、雑音以外の何物でもないのである。

 今回は聴覚を鋭敏にするために役立つのではないか、と思われる、一風変わった現
代音楽、G.リゲティの《アトモスフェール》を紹介しよう。この曲、最初から最後ま
で、微妙に音の塊=クラスターが変化していくオーケストラ作品で、タイトルは「雰
囲気」、「大気」といった意味と思われる。いずれも目に見えるものではなく、つか
みどころがなく、しかも微妙だ。よく考えてみれば、音楽も、似たようなもので、私
たちを取り巻く雰囲気といってよいだろう。この曲、最初は漠としてわけがわからな
いが、聴覚を最大限、研ぎすまして聴いていくと、少しづつ、響きの内部のデリケー
トな音の変化がわかるようになる。聴くごとに、どこか違った響きに感じられる不思
議な曲だ。

Discography:
Wien Modern-Ligeti/ Nono/ Boulez/Rihm. Gramophon 429 260-2

92/07  rev. 95/10