Date: Sun, 3 Dec 1995 16:20:45 +0900

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bogomil's CD collection #2        [――――――◎―]
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《四季》いろいろ
ヴィヴァルディ:協奏曲集《四季》

 栗本慎一郎著の『間違いだらけの大学選び[疾風編]』(朝日新聞社刊)は、なか
なか興味深い本だ。題だけ見ると、大学受験生や、受験生の父母を対象にしたものに
思えるが、栗本氏の意図は、むしろ現在の日本の大学の在り方に対する批判にあるよ
うだ。特に、一般に「名門校」、「一流校」とされている大学が、歯に衣着せぬ筆致
で評されている。

 たとえば、私立の名門の某大学は「学生一流、施設三流、教授四流」。思わず、苦
笑してしまった。しかし、これは他人ごとではない。栗本氏は、偏差値優先のわが国
の大学受験のシステムによって、少なからぬ大学が、その教育と研究の実態に比べて
不当に高い評価を得てしまう、という現象を指摘しているが、音楽界にも似たような
現象が見られるからだ。

 国際コンクールに入賞しただけで、あたかも「大ピアニスト」であるかのごとく喧
伝される若手ピアニスト。どういうツテがあるのか知らないが、やたらにマスコミに
登場することで知名度が高まり、あたかも「大歌手」であるかのごとく扱われる女性
歌手。大きな声ではいえないが、実力はさておき、プライドだけは一流演奏家並み、
というケースもけっこうあり、「プロは偉い」と思い込んでいる純朴な一般人が結構
だまされたりする。いずれも、不当に高い評価を与えられている、といってよいだろう。

 それでも若手の場合は、まだ可能性があるから許せるとして、悲惨なのは過去の名
声によりかかって、実質はかなりひどいという、老朽化した演奏家や演奏団体の場合
だ。たとえばヴィヴァルディの《四季》で日本にバロックブームを引き起こしたM合
奏団。これまで30年にわたって、ほぼ隔年に来日しているが、ここ数年の凋落ぶりは
、目を覆うばかり、いや耳を覆いたくなるほどだ。

 1952年に結成されたこのグループ、これまで数回にわたってコンサートマスターの
交替でなんとか陳腐化をしのいできたが、いかんせん、メンバーの高齢化が進み、も
う限界だ。にもかかわらず、来日公演のスケジュールはすさまじい。93年来日の場合
、9月28日の東京公演に始まり、11月4日までの37日間に、なんと33公演をこなしてい
る。この期間中、公演のない日は4日しかない。しかも、九州から北海道まで、日本
全国を回っている。イタリア人はタフなのかもしれないが、しかし、こんなスケジュ
ールで、まともな演奏ができるのだろうか。

 筆者の聴いた公演は、来日直後のものだったが、お世辞にもいいできとはいえない
ものだった(この公演に関しては、それなりの理由もあったのだが)。ソリストはそ
こそこに気合が入っていたが、バックのアンサンブルがダメ。音程も悪く、集中度に
欠けるものだった。それでも、「四季といえばM合奏団」ということで、聴きにくる
人も多いのだろう。傲慢との批判を覚悟の上で敢えて言うなら、中には質の落ちた演
奏を聴かされても、「M合奏団の演奏だから、いい演奏に違いない」と思い込んでし
まう、お人好しの聴衆さえいるのかもしれない。

 来日する演奏家、演奏団体の中には、明らかに本気で演奏せずに「適当に流してい
る」例も見受けられる。そういった面はM合奏団にもあるが(なんらかのトラブルで
、まったくやる気をなくしていたこともある)、しかし仮に彼らが本気を出したとし
ても、もう限界ではないか、と筆者は思っている。ピークをはるかに過ぎたM合奏団
の演奏は高い入場料を払ってまで聴くに値しない、とまではいわないが、日本人の定
番好み、ブランド指向の悪い側面が象徴されているようで、聴き終わった後、筆者は
なんとも複雑な気分になった。音楽を聴く耳を持っている人なら、たとえクラシック
にはなじみがなくても、おそらく、M合奏団の演奏に首を傾げ、こう感じるのではな
いか…「クラシックと偉そうなことをいったって、大したことはないじゃないか」。

 どんな名演奏家であろうとも、人間である以上、精神的にも肉体的にも、いつの日
か老いる。聴く側の私たちも、老いる。そしてかつて自分の愛した演奏家が老いてい
くのを見る、ということは、自分自身が老いていくのを見ることでもあるのだ。これ
はこれで、感慨深いことだから、M合奏団を、あるいは彼らの《四季》を回顧的に聴
く人に対して、筆者は何も言うことはない。しかし、将来のある若い人や、これから
《四季》を聴こう、という人には、M合奏団の演奏は薦められない。もっと別の《四
季》に、新しい《四季》に目を向けてほしい。

 ということで、今回はアンドリュー・パロット指揮のタヴァナー・プレイヤーズに
よる演奏を紹介しよう*。ただし、誤解のないようにお断りしておくが、この演奏が
「現在、最高だ」などという意味ではない。たとえば、この演奏は、比較的テンポの
ゆれが大きい部類に属する。で、これを心地よい表現と聴くこともできるが、ちょっ
とやり過ぎ、納得がいかない、という方もおられるかもしれない。ただ、同じ春でも
、年によって少しづつ趣きが異なるように、ヴィヴァルディの《四季》も、いろいろ
あっていいはずだ。これは、あくまで、ひとつの《四季》に過ぎない、ということで
ある。

Discography:ヴィヴァルデイ/“四季”=パロット(東芝EMI、TOCE-7601)

94/02 rev.95/07