Date: Sun, 3 Dec 1995 16:20:51 +0900
====================================================== bogomil's CD collection #8 [――――◎―――] ====================================================== 「クラシック長期予報」の試み ビクトリア:《おお、大いなる神秘》 今年の夏の暑さは異常だった。この猛暑、自然のなせるワザで、誰に責任があるわ けでもないが、毎年、気になるのが気象庁の発表する長期予報。今年の猛暑は、まっ たく予想されていなかった(昨年もそうだった)。気象衛星や超高速スーパーコンピ ュータを駆使して予想した結果が外れたのである。 寛大な筆者としては「責任者、出てこい!」というつもりはないが、夏バテの頭に カチンときたのが、気象キャスターの解説。「日本付近の気圧配置があーなって、こ ーなって、それで猛暑になったんですね」などと、もっともらしい解説をしていたが 、そんな説明、今さら聞かされてもなんの役にも立たない。この種の解説を、「後知 恵」という。一見、もっともらしい分析に思えるのだが、結果が先に出てしまってい るのだから、どうとでも説明できる。聞く方も、専門家の説明だから、妙に納得して しまう、つまり、いいくるめられてしまうのである。 音楽の分野でも、この種の「後知恵」的な評論や論述がしばしば見られる。最近の 例では、グレゴリオ聖歌ブーム。一昨年から、スペインのシロス修道院で録音された グレゴリオ聖歌のCDがヨーロッパで爆発的に売れたそうで、海外のブームにすぐ便乗 したがる日本のレコード会社が飛びついた。「柳の下のドジョウ」を狙ったCDやコン サートが企画され、さらにカルチャースクールなどでもグレゴリオ聖歌をテーマにし た講座が登場するなど、日本でも、昨年はちょっとしたブームになった。これに関連 して、「ブームの背景を探る」式の解説や評論も新聞、雑誌に散見されたが、クラシ ック音楽の中でも馴染みの少ないジャンルとあって、評論家の先生たちの筆致も、今 ひとつさえなかったようだ。 ところで、グレゴリオ聖歌に関しては、このシリーズの初出第26回(『あんさんぶ る』No.294、91年7月)で『グレゴリオ聖歌はコンソメの味』と題して取り上げたこ とがある。その一節を再録してみよう。「…西洋音楽の原典といわれる、グレゴリオ 聖歌。無伴奏でユニゾンで歌われるカトリック教会の聖歌は、単純、素朴なだけに心 にしみるものがある。いわば、クラシック音楽のコンソメだ。日本のわらべ歌に似た 節まわしもあって、ちょっと意外な、どこか、なつかしい感じさえする。…」 さて、このグレゴリオ聖歌、以前は世界中のカトリック教会で、ミサなどの典礼で 歌われていた。そのままいけば、ある程度、日常的に聴くことができるのだから、CD でブームになる、などということは起こらなかっただろう。 しかし、ここ20年ほどで大きな変化が起きた。現在もグレゴリオ聖歌はカトリック の正規の典礼聖歌だが、第2ヴァティカン公会議以後、母国語による聖歌も典礼に用 いてよろしい、ということになった。信仰の面からは、信者が自分の理解できる言葉 で聖歌を歌うことが重要である、とされたのである。その結果、ヨーロッパ人でさえ 、ほとんどの人が理解できないラテン語によるグレゴリオ聖歌は、観光客目当ての大 聖堂などでは歌われることがあるものの、一般の教会では次第に歌われなくなってき ている。教会音楽の伝統がない日本のカトリック教会では、ほぼ消滅した、といって も過言ではない。1960年代までは日本でもクリスマスなどの大祝日のミサでグレゴリ オ聖歌が歌われることがあったが、「意味もわからずにラテン語で歌うのはいかがな ものか」という考え方が徐々に浸透し、現在では、少なくとも日本人を中心とするミ サでは、まず歌われることはない。 このような状況でグレゴリオ聖歌がCDでブームになる、ということは、本来、歌わ れるべき場である教会では存続できなくなり、世俗の世界で生き延びざるを得なくな った、といえるかもしれない。他の可能性としては、一般民衆に根強い土俗的な(シ ンクレティズムを含む)カトリック信仰への回帰、あるいは東欧社会主義国家の崩壊 と不況による進歩幻想の挫折からくる一時的な復古趣味、という可能性も考えられる が、いずれも後知恵の域を出ない。実際のところは、ごく偶発的なものだろう(日本 でのブームは、相も変わらぬ欧米追随型である)。 さて、今回はこの種の古い時代の音楽の次なるブームを大胆にも、また無謀にも予 測することにしよう。広義には「15〜16世紀の宗教合唱ポリフォニー・ブーム」。さ らに限定して、ここではスペインの作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリアVictor iaのブームを予測したい。ビクトリアは、大局的にはパレストリーナに代表される16 世紀後期の様式に基盤を置くが、一部の作品、たとえばモテト《おお、大いなる神秘 O magnum mysterium》に認められる劇的表現や、ある種の神秘性は独特のものだ。 なお、この予測は「長期予報」であって、この場合、「長期」というのがどのくらい の期間を意味するかは、読者の判断に委ねたい。 *Discography: 《ビクトリア:レクイエム/ミサ/モテット》、ゲスト指揮、ケンブリッジ・セント ・ジョンズ・カレッジ合唱団。LONDON POCL-2793。 【付記】 私事だが、筆者は6才からグレゴリオ聖歌を歌ってきた。今でも、Liber Usualisという、2000ページの、辞書のような聖歌集に収録されている四線譜、四角 ネウマの楽譜を見て歌うことができる。しかし、もはや教会で歌う機会はほとんどな くなってしまった。そこへ昨年の「ブーム」。世も末、という感じがした。もちろん 、日本でのブーム(らしきもの)は大したことはなく、一過性のものだった。その後 、一般マスコミでのクラシック関係の話題としては、いずれも映画がらみで今年前半 はカストラート、最近はベートーヴェンが取り上げられはじめているのは周知のとお りである。 94/08 rev.95/09